こんにちは!
本日は、川本源治郎氏について取り上げてみます。
皆さんは、川本源治郎氏がどんな人物かご存知でしょうか?
彼は、丸源ビルを所有しており「銀座の不動産王」とも呼ばれていた人物です。
貸しビル業において莫大な資産を生んだとも言われています。
さぞ裕福で幸せな人生を歩んでいるのだろうと思えますが、実際は違っているようです。
川本源治郎氏にはどんなことが起きてしまったのでしょうか?
今回は、川本源治郎氏に降り掛かったある出来事について、詳しくご紹介していきます。
川本源治郎について知りたいという方は、ぜひ参考にしてみてください。
川本源司郎氏とはどんな人物なのか
川本源司郎氏をご存知の方はどのくらいいらっしゃるでしょうか?
彼は、東京・銀座などの繁華街の飲食店ビルを展開する丸源ビルのオーナーです。
ここでは、そんな川本源司郎氏の経歴・資産について見ていこうと思います。
■川本源司郎のプロフィール・経歴
1932年生まれの川本源司郎氏は、福岡県小倉氏出身で、私立常磐高等学校を卒業した後、慶應義塾大学経済学部を中退しています。
その後、家業の呉服屋「丸源」を継ぎ、収入の半分を不動産投資に充てていました。
川本源司郎氏はその投資で莫大な収益を得て、貸しビル業を展開していきます。
これが、丸源ビルの始まりとなったわけです。
呉服屋を廃業し、丸源ビルとしての事業に本格的に乗り出し、1960年には飲食ビル賃貸業に転じます。
それが功を奏し、福岡圏の繁華街の中州に進出し、1972年には銀座や赤坂・六本木などに計60棟ものテナントビルの所有を実現しています。
現在は80歳を超える年齢となっていますが、結婚せず子どももいません。
以前、「商売をやるのは自分1人で十分だ」と知人に語っており、1人でも充実した日々を満喫していると言えるでしょう。
■都心とハワイに自宅を持つ
川本源司郎氏は、渋谷区にある高級住宅代に地下1階~3階建ての鉄骨大豪邸を構えているそうです。
その敷地面積は約400平米、床面積は約500平米にも及び、愛車はロールスロイスだったと言われています。
また、ハワイ・オアフ島の高級住宅地には何棟も豪邸を構えており、同じく高級住宅地のカハラ・ビーチフロントの土地を所有していたという話もあります。
一般の方には夢のような話ですが、実際には豪邸に定住するのではなく、高級ホテルで生活を続けていたそうです。
法人税法違反の容疑がかかっている
“順風満帆な暮らしを送っているように思えますが、川本源司郎氏には過去に法人税法違反の容疑がかけられています。
ここでは、その詳細について取り上げていきましょう。
■法人税違反容疑で逮捕されていた!
2013年3月5日、川本源司郎氏は法人税の支払いを逃れたとして法人税違反の疑いで東京地検特捜部に逮捕されています。
丸源ビルグループは、赤字申告をして法人税を支払っていないのが分かったのです。
関係者によれば、脱税をしていたのは2009年~2011年とされており、アメリカで開設した個人口座に多額の送金があったとしています。
川本源司郎氏は、ハワイに別荘を複数所有していましたが、その一部を美術館にするべく美術品収集や改築の費用に充てていたのではないかと見ています。
■赤字申告で証拠隠滅?
川本源司郎氏は銀座の不動産王と呼ばれていましたが、当代きっての「節税王」とも言われていました。
丸源グループは高額所得法人に1度も顔を出しておらず、赤字の税務申告をして法人税を支払っていなかったのです。
東京国税局は何度調査しても脱税の証拠を掴めなかったのは、法に触れない赤字申告をしていたからだと分かっています。
通常、節税する際には、役員報酬を法人税率よりも低くなる範囲で増加させたり、設備投資を前倒しでしたりして行います。
しかし、丸源グループはテナントビルを相次ぎ設立させ、商号変更や本店の移転などを終えた後に清算していました。
つまり、社名と登記地を次々に変えて清算した会社を同じ社名で復活させていたのです。
東京国税局は丸源グループだけでなく、東京商事や他のグループ会社も強制調査しており、100億円もの疑惑があったとしています。
法人税容疑がかけられる前には、六本木や赤坂・新宿などのビルはすべて売却し、丸源ビルは約20棟・テナント数約800店へと縮小しています。
飲食ビル事業から撤退し、全財産を美術品に残すつもりだったのではないでしょうか?
ビルを売却すれば、脱税しなくても有り余る資産を持っているため、何のために脱税したのか不信に感じる人々も多いでしょう。
保釈金を払うことで解決したようだが…
多額を脱税したとして法人税法違反罪で起訴され、その後はどうなったのでしょうか?
■保釈金で解決?
法人税法違反罪で起訴されて以降、川本源司郎氏は5億円もの保釈金を払って保釈されました。
記者会見の質問にも応じていて「脱税はしてない、する必要がない」と改めて脱税を否定しています。
その後も無実の主張は変わらず、初公判へと進みました。
川本源司郎氏は2013年6月の初公判で「全部でたらめ」と否認し、弁護団が何度も交代するなどして長期化していました。
当時は懲役4年と罰金2億4000万円という執行猶予のない実刑判決が求刑されています。
しかし、何度も弁護団を変えてまた0からのスタートが繰り返されたため、裁判が一向に進まず何年も経過していったのです。
検察側は、決算書上の利益を不正に減少したという悪質性のある手口を指摘しています。
ただ川本源司郎氏は当初から無罪主張しており、差東京高裁に移して検察側と戦うと話していました。
判決後は新たに7億5000万円の保釈保証金を払い、保釈されています。
■実刑判決は免れない?
初公判から5年もの月日が経ち、2018年7月には川本源司郎氏の論告求刑公判が東京地裁で開かれました。
検察側は、強固な脱税の犯意に基づく悪質な犯行と指摘し、懲役5年・罰金3億円を求刑しました。
税理担当者に不正な経理処理を指示しており、健全な納税意識が欠如しているとも述べています。
9月13日には、弁護側の最終弁論、そして11月20日に判決が言い渡される予定となり、20日当日にも川本源司郎氏は笑顔を見せていました。
しかし、20日の判決では、東京地裁より「したい放題に売り上げを操作し納税義務をないがしろにした」と指摘し、懲役4年・罰金2億4000万円を言い渡しました。
川本源司郎氏は実刑を言い渡され、呆然としていたと言います。
判決を言い渡される直前までは、どんなに法務上の指摘を受けても笑って話していましたが、実刑判決が下り余裕も失われたのでしょう。
川本源司郎氏は過去に修正申告に応じ約11憶5000万円を納付しています。
高齢の被告ながら厳しい判決となりましたが、「国税とは何度もやり合ってきた」や、「節税しない経営者はバカ」などという発言を繰り返していたのが大きな仇となったと言えるでしょう。
「脱税していないから判決が楽しみ」と笑っていた川本源司郎氏は今何を考えているのでしょうか?
今回は、川本源司郎氏の経歴や資産、法人税法違反で逮捕され、判決が言い渡されるまでの展開を解説してきました。
最後まで脱税をしていないと否認を繰り返していましたが、初公判からおよそ5年でようやく判決となりました。
莫大な資産構築に成功した彼でしたが、今後は厳しい現実が待っています。
実刑判決となった今、川本源四郎氏の現在と今後が気になります。